医師の日野原先生が他界なさいました。100歳を超えても現役で常に目標を持ち、社会のために尽くされ、見事な生涯でいらっしゃいました。

葛飾北斎のキャリア観

葛飾北斎もまた、90歳という、当時では考えられないほどの長寿であり、14歳で絵師となってから晩年まで76年間にわたって数々の作品を残した人です。北斎の作品は色々なところで見てきましたが、先日すみだ北斎美術館に行った際に、「富嶽百景」(74歳で完成させた)のあとがきに寄せられた言葉が紹介されており、キャリア的にも興味深い内容でしたのでご紹介します。(以下の現代文は葛飾北斎のウィキペディアからの抜粋)。

「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。」

2人の偉人に共通するキャリア発達の特徴

さて、この2人の偉人のキャリアを、古典的なキャリア理論であるドナルドスーパーのキャリア発達論から考えてみましょう。

スーパーは、中年期以降のキャリアの発達とその課題を以下のように考えました。

  • キャリア維持期(概ね40代半ばから60代半ばまで):地位を保持するために最新の技術やスキルを身に着け、自身を革新する
  • キャリア離脱期(概ね65歳以降):キャリアは減速し、退職後の生活が中心となる。有給の仕事からは徐々に退き、地域の活動や趣味などのキャリアが中心となる

日野原先生も、葛飾北斎も、もちろん生涯現役でいられる場を持っていたから活躍できたという言い方もできますが、職業の興味や探求心を失わず、新しい技術やスキルを探求しながら自分を革新し続けた結果、一般的には20年ほどと考えられているキャリア維持期を50年以上維持し、生涯を終えた例と考えていいでしょう。

雇用延長と中年期のキャリア

サラリーマンは自分で好きな仕事を選べるわけではないのでこうしたキャリアを実現するのは難しいことですが、60歳定年から65歳まで雇用延長できる企業が増え、キャリアの維持期が気づいたら長くなっている社員は多いと思います。

この時期を、お二人をモデルに、与えられた職業への関心や意欲を失わず、活き活き過ごすのか、定年まであと何年と、逃げ切ることを考えて過ごすのか、その方の生き方の選択が問われているように思います。

田んぼ

ところで、今回の画像は第10回のコラムにつけた田うえ後の同じ田んぼの2か月後の画像です。北斎の言葉によると、50代にして、まだこんな成長というところでしょうか・・・写真を比べてみてくださいね。