先日、とある駅のホームでの出来事です。1番線から大音量で電車の接近情報が長々アナウンスされ、それに注意を向け始めたのとほぼ同時に今度は2番線から大音量で、違った人の声でのアナウンスが始まりました。

私は結局、両方ともうまく聞き分けられませんでした。馴染みの駅ならあまり困らないのでしょうが、今度来る電車が自分の行き先に止まるかどうか、よくわからない駅だと、とても困ります。停車駅を、それぞれ流していましたが・・・

今回は私のこの経験を耳や音の性質と、注意の観点から考えてみたいと思います。

両耳分離聴(りょうじぶんりちょう)

これはチェリーという心理学者が実験に基づき1950年代に発表したものです。

左右の耳が別々の言葉を聞いている時に、片方から聞こえた言葉に注意を向けていると、反対の耳からの言葉は殆ど聞き取れないという性質があります。

聞き取れないのは、注意が一つに向いているので、もう一方の耳は物理的な情報の処理はできても意味の処理ができないのです。

私は1番線側に立っていて、まずそのアナウンスを聞こうと注意を向けたので、すかさず入った2番線側のアナウンスの意味を処理しにくい状況がありました。

マスキング効果

これは、一つの音の存在が他の音をかき消す効果です。BGMなど、生活の騒音を和らげる効果として広く知られています。

私の場合は、大音量同士でしたので、一瞬後から来た2番線の大音量が先に聞き始めた1番線の大音量をかき消してしまい、1番線のアナウンスの意味の処理にも影響が出たのだろうと思います。

両耳分離聴とマスキング効果の2つが重なって、大音量のアナウンスだったのに、結局両方とも聞き取りにくかったのではないかと推察しています。

今後に思うこと

馴染みの駅なら「いつものことか」となるのでしょうが、馴染みの薄い駅でしたので駅の印象が悪くなってしまいました。おそらく、乗る人への注意喚起や情報提供を目的としたものなのでしょうが、この伝え方では誰のための、何のためのアナウンスなのか、わからないと感じました。

駅の自動放送は、列車の運行管理システム連動で自動放出されるものとのことです。ひとつの放送を終えてからもう一つの放送をかけるなどの制御ができれば聞きやすくなるでしょう。

今回は駅の自動放送という切り口でお話しましたが、私たちは、相手に対して心配するあまり、同時にいくつも注意喚起してしまうことはないでしょうか?

自分の心配を解消するために取る行動は、相手のためになっていないということ、結構多いです。それこそ、注意していきましょう!