定年延長、生涯現役、人生100年といわれる時代に入り、「自分はどう生きて行きたいのか」、「どう働きたいのか」、「何を目指すのか」というアイデンティティ(自我の同一性、自分らしさ)を巡る様々な問いに、年齢を問わず直面しています。

発達心理学でいわれるアイデンティティの確立と拡散

発達心理学では、青年期はアイデンティティを巡る様々な問いに直面し、家族や学校、地域の中で色々な役割を担ったり、経験を通して自分という存在を社会の中に位置づけ、肯定的に理解し、アイデンティティを確立していく時期と考えられています。

環境変化や出来事の度にアイデンティティは危機を迎え、一時的に色々な自分が出てきてアイデンティティが拡散し、混乱を深めることがありますが、成人期、老年期と人生の歩む中で危機を乗り越え、時に修正を重ねながら自己がまとまりを深めていくことが円熟した人格につながると考えられています。

「多元的自己(self- pluralism)」とは

このアイデンティティを巡って、現代的な概念の一つが「多元的自己(self- pluralism)」です。異なる状況において異なる行動や感情を持つ自分に対して、何ら矛盾や葛藤を感じず、ばらばらなまま併存させるという自己認識のことをいいます。

例えばある学生が、大学、サークル、プライベートといった様々な状況で、「大学では無口で真面目」、「サークルではパーティ好きでエンターテイナー」、「プライベートでは心配性で依存的」と、状況に応じて異なった自分をみせているとします。

古典的な発達心理の考え方では、やがてこの学生は矛盾する自己に気付き、「本当の自分はどっちだろう」、「どちらが自分らしいのだろう」と悩み、より自分らしく、一貫した自己を追い求めようすると考えます。

一方、多元的自己認識の場合は、状況で自分を切り分け、互いの在り方の矛盾を感じず、「それも、これも自分だ」と考えるので、悩まないのです。

ある研究レポートでは

興味深いことに、ある研究レポート(注)では、学生相談に来談する学生の変化について“1960年代から1980年代前半まで学生を過ごした世代は自己を一貫性のあるものとして統合することを目指すのに対して、1980年代以降に学生時代を過ごした世代は、心の中に混じると都合の悪い要素を切り離し、ばらばらのまま併存させている”(一部抜粋)と示されています。

多元的自己の傾向が時代と共に強まっているようです。

(注)https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/38994/20160129144411179618/BullGradSchEduc-HiroshimaUniv-Part3_64_113.pdf

多元的自己の背景

こうした多元的自己の成り立ちには、目まぐるしく社会情勢、経済情勢が背景にあるという指摘があります。目の前にある状況がどんどん移ろうため、アイデンティティの頻繁な危機という大きなストレスから心を守るために心を分けて備える術を身につけたということです。

また、人と人との関係が希薄となり、互いに深く関わらないこと、SNSの発達で、それぞれの仮想空間の中だけに提示した関係性で完結できるようになったこと、などから多元的であることが実現できるようになった面もあるのだろうと私は思います。

昔はどっぷり、べったり、ながながと、付き合う関係が多く、自分を区切っておくことが無理だったように思います(個人の感想です)。

ただ、この「多元的自己」は、人の発達にとってどのような影響を及ぼすかはまだ明らかでないようです。

多元的自己とキャリア

職場においても互いの人間関係が希薄となり、働く場所も働き方も自由、副業も可能という形となってくると、むしろ、多元的自己の人の方がぷつんぷつんと自分を切り分けて対応できそうに見えて、適応が良いという考えもあるかもしれません。

おそらく重要なのは、多元的自己の在り方だと思います。

ひたすら周囲に嫌われないよう、状況における期待を読み取り、多面的な自己を発展させ続けている場合には、やがてどこかで疲弊してしまうように思います。

また、あまりにもバラバラな自己を抱えたまま、成人期、老年期と長い時間を超えていくのも現実的には難しいことでしょう。

状況に応じて自分の役割の演じ方を変えていくこと自体は適応的な側面もありますので、自己が多元的になっているということをしっかり自覚したうえで、自分自身でそうした自分のあり方を全体として肯定的に評価できることが大事だと思います。

アイデンティの危機こそ若さの秘訣?

ただ、私自身は、長い人生を自分らしく生きて行くとためには自分というものをまとまりをもった、肯定的な存在としてとらえ、しっかりとしたアイデンティティを持っていることが大事だという考えです。

確かに、目まぐるしく環境が変わるので常にアイデンティティの危機や混乱と隣り合わせですが、考えてみたら、青年期の課題をこうして成人期、老年期になっても、より深めた形で取り組めるなんて、老け込んでいる暇がないということです!新しい時代に応じて新しい自分らしさが見えたらまた素敵です。