深刻な人手不足の対策として、「特定技能」のビザを持つ外国人材の受け入れが検討されています。マスコミ中心に紙上で「外国人の単純労働者を受け入れへ」「単純労働に在留資格」など、時にカッコつきではありますが、「単純労働」という言葉をよく目にするようになりました。
単純な労働というのはあるのか
定義によると単純労働とは「高度な知識や技術、一定年数の経験などを特に必要としない簡単な労働」(三省堂 大辞林)とされています。工場作業、荷役作業、建設作業などがこれにあたるようです。
正直なところ、働く人のキャリアを支援する私の立場からは、「単純労働」という言い方はどちらかというと経営サイドから見た言葉に聞こえます。
「単純な労働なんてない」というのが私の考えです。
例えば、作業工程のラインで工程の一部を、確かに、知らない人が見れば毎日同じように担当しているかもしれませんが、そこにはやはり働く人の創意工夫や熱意が表れるものです。技術、リスク管理、生産性など、自身のスキルの上達や習熟を目指す方も多くおられます。
もしも、全く創意工夫や判断の余地がなく、ただただ、同じ作業を繰り返すという仕事があるのであれば、むしろそうした仕事を長時間にわたって、注意を切らさず、ミスを出さずに継続するというスキルは、なかなか到達できないものです。それこそ職人技です。
人生とキャリアの「成長」という視点
単純労働はキャリア形成という言葉に当てはまらないという考えの方もおられるかもしれません。 でも、キャリア理論の観点からは、“働く人の持ち味がその仕事に活かされる”もので、私は、どんなに定型、単純化された作業であっても、それを継続して行う中で、仕事の進め方や人間関係の取り持ち方などにおいて、働く人の性格や価値観、適性や技能などがにじみ出るものと思っています。
単純労働だから誰でもできるというものではなく、人手不足で苦しんでいる職場と、異国の地で働いてみようという外国人労働者とが協力し、労働者にとっての「人生とキャリアの成長」を目指す視点が重要です。そうでなければ5年という年月、外国人労働者がモチベーションを保ち続けることは難しいだろうと思っています。
もちろん、採用する法人・団体には、日本語教育や生活支援なども含めた包括的なキャリア支援の責任がありますが、同時に、外国人労働者の皆さんにも、自分のキャリアを自分で作っていくという考え方を持っていただき、日本語の習得はもちろん、日本における自分の仕事に自信と誇りをもって活躍してくださることを期待したいものです。