緊急事態宣言が解除されて丸ひと月となりました。久々に友達と会ったり、ショッピングや街歩きなど、外出できる喜びを感じている方も多いことでしょう。

今回は外出風景で気がかりなことがありましたので、お話しします。

バス停での出来事

つい先日、仕事で郊外のバスを利用しました。あるバス停に止まったのですが、前のバスが動かないためにしばらく停車することとなりました。私はひどく急いでいるわけでもなかったのでぼんやりと待っていたところ、一人の女性が私のバスに向かって深々と頭を下げています。何で頭を下げておられるのか、初め全くわからなかったのですが、歩く姿を拝見して、足の不自由な方と分かりました。自分の降車で後続車両に遅れが出たことに対する感謝とお詫びのご挨拶だったことにすぐさま気づきました。

コロナ禍で外出困難と感じておられた、様々なハンディをお持ちの方が、外出する気持ちに変わってこられたことがとても嬉しいと思った一方で、このようにとても恐縮しながら日々を過ごしておられることに改めて気づいた出来事でした。

幹線道路の中央分離帯での出来事

たまたまなのか、このエピソードの翌日には都内の幹線道路の長い横断歩道の中央分離帯で歩けなくなり、座り込んでしまった高齢者に出会いました。連れ合いの方は先に横断歩道を渡ってしまい、手招きしています。

私は肩をお貸ししようとしゃがみましたが、立ち上がれず、若いパパが、おんぶしましょうかと申し出て下さいましたが、断っておられました。

連れ合いの方が慌てて中央分離帯に戻ってこられて1回信号を見送り、次の信号にて、皆の掛け声やサポートでやっと立ち上がり、歩いていかれましたが、連れ合いの方はしきりに、私と若いパパに、迷惑をおかけしたと詫びておられました。

私は前日のエピソードもありましたので、「お互い様なので、どうかそうおっしゃらないでください」とお伝えしました。

外出をしよう

せっかく外出したのに、「皆に迷惑をかけてしまった」と思うと、気がふさぎます。「もう外出は嫌だ」と思ってしまうかもしれません。是非「たまたま助けてくれる人がいてラッキー、良い一日だった」と思ってほしいです。

2年越しのコロナ禍で皆それぞれ体力が衰えてしまっています。動作が遅く、周りのペースについていけないという感覚、私にとってはかなり身近です。

誰しも何かしらの理由によって体が思うように動かない時はあるものです。元気なうちは誰かの手助けをすることができ、自分が助けを必要とする時には上手に手助けを得る、「長い人生、お互い様」、そんな気持ちでこれからもちょっとしたお手伝いができればなと思います。