今年は「感染」をキーワードとして、「集まる」ことについて考えさせられる1年でした。
最近気になる言葉が出てきたので、今回はそのことについてお話します。
「いつもの仲間」~政府の分科会からのメッセージ
飲食店での会食が感染拡大の要因であるのを受けて、政府の分科会は、以下の対策例を挙げました。私の気になるキーワードは赤字部分です。
①食事を静かに
②話をする時はマスク着用
③家族、いつもの仲間で 5人以上は控えて
さて、皆さんには「いつもの仲間」、おいでですか?
実は私自身、いつもの仲間でと言われて、「そういえば私にはそれがない!」ことに改めて気づいてしまったところです・・・
NHKの番組で紹介された「いつもの仲間」の定義(ネット上の情報ですが)
さて、どこの誰までが「いつもの仲間なのか」、考えてしますよね。
私は見ていませんが、この話題を扱ったNHKの番組では、いつもの仲間とは「1週間に複数回会う人」のことのようです。そのため、たまに会うママ友や、不特定多数が集まる会は「いつもの仲間」ではなくなり、そうした人たちとの会は控えましょうというのがメッセージとなります。
私自身はフリーランスとなって久しく、基本的に一人職場で働いていますので、1週間に複数回会うという意味での「いつもの仲間」がおりません。
面談に携わっていますと、ご所属がおありの方たちであっても、仲間と呼べる人は僅か、または身近にいないという方が多く、ましてや「いつもの仲間」と感じられる関係性というのはなかなか得難いように感じています。
「いつもの仲間」は、いればなお良いのかもしれませんが、いなくたって大丈夫です!(私自身への励ましも込めて)
コミュニティへの帰属
コミュニティとは、歴史的には居住地の地域が同じであることに始まり、その後、職場、あるいは交流や参加のベースとなる場も含まれるようになりました。ネット上のつながりも含めて「場」を同じくし、「共同性(共同感情)」をもつ相互依存関係のことをいいます。
こうした社会的つながりは自分の帰属意識や人生の充実感を高めると考えられています。
私の印象ですが、個人の生き方はとても多様になり、人々とのつながりも「密」から「ゆるやか」なものとなって、上記のような共同感情を持つ相互依存関係はあっても、交流の機会は少ないということもあるのではないでしょうか。
滅多に会えないけれど、昔の友人や、かつての同僚、趣味の会、勉強仲間、保護者の会など、機会があればほっとできる・楽しめるコミュニティがある、そう思うだけでも私たちは安心できます。
実際に交流があるかどうかではなく、心の中で思い抱いているだけでいいのです。かつての楽しかった交流を思い出してみることでも良いでしょう。
年末年始は田舎に帰れなくなったという方も多いことでしょう。ただでさえ年末年始は、周囲が華やぐ分、自分のことを振り返って気分が沈みがちな季節です。
「いつもの仲間」がなくたって大丈夫。その代わり、緩やかにでも繋がれるコミュニティはこれからも大切にしていきましょう。
来年は皆さまにとって良い年になりますようお祈りいたします。