その1に続き、その2では、統計学者としてのナイチンゲールのキャリアについて学んでみましょう。
統計学への貢献
クリミア戦争から戻った後、37歳以降のナイチンゲールは慢性疲労と虚脱状態にあり、多くの時間をベッドの上ですごしました。今ではクリミアで感染したブルセラ病と診断されているようです。
そのような中でもナイチンゲールはベッドの上での執筆活動を続け、まずはチームのメンバーと共に、当時の兵舎病院の状況分析を行いました。そして、イギリス陸軍の保健や死亡率に関する1000頁に及ぶ報告書を取りまとめました。
プレゼンテーションにおいては統計が活用されました。
兵士の死亡率について、派遣された当初の2月が42%、4月に14.5%、5月に5%と急速に改善したことを示し、劣悪な衛生環境が兵士の死亡に影響したことを統計的に明らかにしました。
また、グラフ表現がない時代の中で、軍幹部や官僚、国会議員らにわかりやすく伝える方法として視覚的なグラフを取り入れました。
今、レーダーチャートといわれる蜘蛛の巣状のグラフの原型は、ナイチンゲールが月別、死因別に分析した内容を視覚的にわかりやすくプレゼンする方法として導入したものです。
その後も各病院バラバラの統計を統一化しようとしたり、健康な人と病弱な人との住環境の統計を得ようとしたり、新しい取り組みに次々向かっていきました。
しかし、統計をまとめるのが大変、費用がかかるなどの理由で大きな反対にあい、大学教育で統計学の専門家を育てるべきという彼女の構想は存命中には叶いませんでした。
実践と分析という基本姿勢
これから看護週間を迎えます。
こうして200年前のナイチンゲールの活躍を振り返ると、世界同時多発的に発生した感染症に苦しむ人々を支える世界中の医療職が、クリミア戦時下のナイチンゲール部隊と重なります。読者の皆さんと共に、私も感謝の気持ちをもって過ごしたいと思います。
分析という点では、残念ながら日本では、地域ごとの統計が整わず、陽性率も正確に把握できないという報道がありました。手間、費用、その活用、これらの面で統計を整えるのには大きな負担があるということなのでしょう。
検査数も他国に比べて圧倒的に少なく、緊急事態宣言の解除の根拠となる数字の裏付けが乏しいので、この先どのような方針を選択しても国民には不安が残ります。ドイツとは対照的ですね。
ナイチンゲールだったら、どこに着目して切り込んでいくでしょう?今間に合わなくても、この災禍がやがて冷静に分析され、次に備えられることを切に願います。
ナイチンゲールの生き方は今日の私たちにもエネルギーを与えてくれます。生誕200年を、世界中の人々が危機にある今迎えるというのも、彼女の情熱と献身の現れかもしれませんね。