国内のスポーツ界の相次ぐ不祥事に嫌気がさしていたところに全米オープンテニス決勝の問題。本来は歴史的快挙の喜びに満ちるはずであった大坂なおみ選手の優勝がセリーナ選手の破壊的行為により台無しにされたと感じた人は私だけではないでしょう。

セリーナ選手や関係者が露わにしたもう一つの問題

決勝後の海外メディアは今のところ、セリーナ選手の感情コントロールの問題や差別について議論が集中している印象ですが、私はちょっと違った問題を感じています。

大坂なおみ選手が、セリーナ選手から見れば、「若い」、「著名でない」、「日本人」などから、意識・無意識的に尊厳が軽んじられていた可能性です。

優勝セレモニーで全米テニス協会会長が「私たちが求めた結末ではなかった」「セリーナは王者の中の王者」と発言し、勝者を侮辱するような対応をしたとの指摘があり、観客もブーイングという形でセリーナ選手へ同調したことについても、大坂選手の尊厳を軽んじた行為ではないかと感じています。

相手がセリーナ選手のお姉さん、ベテラン、あるいは欧米選手であるならば、セリーナ選手や観客の自制心がここまで破綻しなかったのでは?という思いです。

私はテニスを滅多に見ないので、テニスは実は最近はこういう世界だとか、こんなことはよくあることだ、とかいう話なのかもしれませんが。

もしもこれが職場なら

あの状況を、オフィスで起きたと仮定しましょう。

セリーナさんは、同僚の男性の言動がハラスメントだと訴えていますが、セリーナさんの罵声、物をたたき割る行為、同僚の仕事(ここでは大坂さんのテニス)を中断させて極度の緊張を強いた、などは大坂さんにとっての職場(テニスコート)の安全を脅かした、ハラスメントに当たる、と考えてもおかしくない事案と思っています。

大坂選手があの一連の行為のために精神的な苦痛を受け、パフォーマンスが大きく阻害された可能性もあり、恐ろしい限りです。

そうした中で自分に集中して勝利したメンタリティの強さには本当に感服しました。日本の誇りです。

こころを守る「防衛機制」

私たちのこころは、欲求不満などのために社会にうまく適応ができない時、様々な方法を使って自分を守ろうとすると考えられています。その方法を専門用語で「防衛機制」と呼びます。「防衛機制」には、非常に原始的、未熟な防衛機制から、成熟した防衛機制まで様々なレベルがあります。

とても種類が多いので、細かい紹介はまた別の機会として、タイトルの「昇華」ですが、これは成熟した防衛機制の代表格です。

「昇華」とスポーツマンシップ

心理学辞典(有斐閣)によると、「昇華」は、「性的欲求や攻撃欲求など社会的に許容されない本能的な欲求を容認可能な行動に変容して充足させること」です。その代表例がスポーツや文学、芸術です。

私たちのこころの奥に潜むコントロールしがたい欲求や不満を研ぎ澄ました形に変えて提示してくれるからこそ、優れたスポーツや文学、芸術が大きな感動を生むのです。

さてどうでしょうか。このところ、自分の欲求不満や攻撃欲求をそのまま暴力的・破壊的な行為として行動化してしまったり、スポーツが「昇華」の代表例とはいえないような出来事が相次いでいます。

オリンピックが近づき、より大きなプレッシャーがかかれば「こころの防衛機制」の出番は益々増えます。スポーツマンシップの原点に立ち戻り、こころのセルフコントロールもしっかり備えて人々に感動を与えるプレーを心がけてもらいたいと思います。

急に涼しくなって、スポーツや読書、芸術の秋の到来ですね。

皆さんは日頃のイライラや不満をどのように成熟した形に置きかえ、「昇華」していきますか?

それぞれの持ち場でこころの状態を守っていくことを一庶民として心がけていきたいものです。