旧函館区公会堂・平成元年、天皇陛下・皇后陛下御幸の際の部屋

天皇陛下として迎えられた最後の誕生日のお言葉、全文を読まれた方も多いでしょう。

「天皇の望ましい在り方を求めながら、その務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。」と述べられました。

「務め」と「勤め」

「務め」と「勤め」、日本語の難しいところですが、務めとは「引き受けた任務や役割を果たすこと」、「勤め」とは「職員として働く、勤務する」ということを意味します。

皆さんの「勤め」はこの1年、いかがでしたか?残業制限や業務の合理化、裁量労働や在宅勤務など、皆さんの職場にも少しずつ、でも確かな変化が訪れているのではないでしょうか。「働きやすい環境づくりをしているのだから、さあ生産性を上げてください』といわれても、ビジネスによってはそうそう成果に結びつかないものもあります。一生懸命取り組んできた自分をまずは認めてあげましょう。

さて、「務め」についてはどうでしょうか?「勤め」における「務め」・・・職場全体が効率性重視で次々変わっていく中で、誰がどのような役割をどこまで果たすというような境界線やコンセンサスがあいまいとなり、困ること、多くありませんでしたか?

本来管理職が行う業務の一部が、業務見直しの名のもとに非管理職に回ってきたり、連携する仕事がどの部署も手一杯で誰も引き取りたがらない仕事がこぼれ出たり・・・とにかく待ったなしでビジネスは進行していきますから、???と思いながらもやっていかないといけない、深く考えてしまうと損するような気持ちにすらなります・・・

「務め」の認識は希薄化?

天皇陛下のお言葉を伺い、日頃の職場を思い浮かべますと、私たちは目まぐるしい環境の中で「勤め」ることで精一杯で、任務や役割を果たすといっても「務め」の認識は希薄となっていないか、そんなことを感じました。

日産のゴーン氏は、いつからか「務め」の意識が薄れ、やがて何が「勤め」かさえも疑わしい経過を辿っていったように感じています。務めと勤め、どっちの意識が先に崩れるのかはよくわかりませんが。

コンプライアンスにこれほど心を砕く時代になってもなお繰り返されるこうした事態・・・「務め」にはその役職や責任に対する個人の想いや忠誠心が反映されるものですが、その心を失ってしまっては、職場はただ個人の利益を追求する場となってしまう、そんな危機感を感じています。

年の瀬に思うこと

今年は、私にとっては、グロウマインドの仕事以外のところでは、長年勤め・務めた企業内相談室の退職と、大学学生相談室での勤め・務めの始まりという大きな環境変化を経験した一年でした。

また、初めて実施された公認心理師受験に合格でき、臨床心理士という長年馴染んだ資格に公認心理師という資格がこの先新たに加わる予定です。

私は臨床心理士というアイデンティティに自分らしさを感じてきましたが、仕事も変わり、資格も増えて大きな節目と認識していますので、改めてカウンセラーとしての在り方を私なりに模索しながら、これからも日々務めていこうと思っています。

今年の年末年始は久々の長い休みとなる方も多いでしょう。里帰りしたり、家で過ごしたり、まずはゆっくりと「勤め」や「務め」から自分を解放し、リフレッシュなさってください。

今年もマインドストレッチをご覧くださり、ありがとうございました。

来年が皆さまにとって素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈りしています。

どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。