日本でもハロウィーンは仮装のお祭りとして定着しつつありますね。どちらかというと大人のためのものでしょうか。先日都心の駅で、年配のご夫妻が、お揃いのオレンジのかぼちゃの頭巾、衣装も体をすっぽり覆うオレンジの大きなかぼちゃで、仲睦まじくどこか向かっていかれるのを見かけました。スーツのサラリーマンに目が慣れていたので非常に驚きましたが、考えたらハロウィーンだったのでしょう。多分。

アメリカでは、ハロウィーンは子供たちの大きな楽しみで、近所でハロウィーンの飾りつけをしている家を“Trick or treat.”(お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうよ)と声をかけながら回り、沢山のキャンディやチョコをもらいます。子供たちはなりたいキャラクターのコスチュームで仮装し、親は仮装にこだわる人もいれば、普段着で回る人もいます。このイベントを楽しみたい家は、子供がいる、いないに関わらず、ハロウィーンの飾りつけに趣向を凝らし、沢山の子供たちの来訪を待ちわびます。 家と家が離れている住宅が多く、宗教に関わらず子供の行事として楽しめるこのイベントは、同じ地域に住む人たちが互いを知る、よい機会にもなっていると思います。

さて、ペルソナは、古典劇で役者が用いた仮面に由来し、人格(パーソナリティ)の語源です。心理学者のユングは、自分の外的側面をペルソナと呼びました。

皆さんは、外と接する時の自分はどんな仮面を被っていると思いますか?どんな人からも嫌われまいとして、本当の自分の思いを押さえて“人が期待しているであろう自分”を演じてしまう人、いませんか?いくつもの仮面を持ち、相手や場面によって、とっかえひっかえしてしまうので、くたびれてしまうでしょう。

一方、全く外のことを気にせず、自分の思ったことやその時の気分をそのまま周囲にぶつけけるので、周囲と衝突ばかりの人もいるのではないでしょうか?自分には怒りがたまり、周囲も困り果ててしまうでしょう。こちらは社会への適応のために自分を覆う仮面をうまく使えない、一つの例となります。

私たちは日常から様々な役割を担い、責任も果たしています。仮面ときくと、言葉のイメージはよくないかもしれませんが、社会生活を営む上では大切なツールです。本来の自分を全て押し隠すものでもないし、押し通すものでもなく、自分らしさを保ちつつ社会と円滑に交流するために、上手に使えっていきたいものです。

日本のハロウィーンは堂々と仮装できるので、普段色々なところで遠慮している自分を思いっきり表現できる場なのかもしれません。